吉本新喜劇の看板女優、島田珠代さん。
芸歴35周年を迎えて再ブレイクしています。
そんな島田珠代さんはどんな家庭に育ち、どのようにして芸人になったのか気になりますよね。
そこで今回は島田珠代さんの生い立ちや家族、子供のころや学生時代のエピソードをご紹介します。
島田珠代の生い立ち
島田珠代さんを見ていると、思いもつかない発想のギャグを次々に繰り広げています。
そんな島田珠代さんはどんな環境で育ってきたのでしょうか?
生い立ちを幼少期から芸人になるまでを見てみましょう。
島田珠代さんの家庭環境
1970年、大阪吹田市で生まれた島田珠代さん。
島田珠代さんの育った家庭はいたって普通。
酒屋さんを営むお父様とお母さま、そして姉の4人家族。
島田珠代さん以外のご家族は一般人。
今の島田珠代さんのキャラクターが育つ要素は見当たりませんね。
島田珠代さんの幼少期
子供のころの島田珠代さんは今の芸風からは想像できないほどのおとなしい子。
お母さんの勧めで書道を習い、その腕前は九段!
書道の大会では、お姉さんと姉妹そろって優秀な成績を収め、実家には賞状やトロフィーがたくさんあるのだそう。
地元では「鬼の島田姉妹」と評判になっていました。
島田珠代姉さん書道九段て好感度抜群や
— 出町柳すみぺ🥺 (@Yukaci_moon) October 29, 2014
島田珠代さんの学生時代
島田珠代さんの人生を大きく変えたのが高校生のころ。
一般的な家庭で育ち大人しかった島田珠代さんですが、高校生になるとお笑いに目覚めます。
難波グランド花月付近のタリーズゲット。 pic.twitter.com/hQgD5sKWHH
— 島田珠代 吉本新喜劇 (@shimada_tamayo7) December 26, 2023
進学した大阪成蹊女子高校では、クラスメイトを前にお笑いを繰り広げる人気者。
その様子を見ていたクラスメイトが、「4時ですよ~だ」の素人参加コーナーに島田珠代さんを推薦。
「4時ですよ~だ」はダウンタウンが司会を務める伝説の番組。
島田珠代さんは「4時ですよ~だ」の素人参加コーナーで2週連続で優勝!
そのまま吉本興業のタレントとして活動を始めます。・
島田珠代の子供のころのエピソード
島田珠代さんは今の島田珠代さんからは想像もつかないほどの大人しい子供。
子供のころからお姉さんと一緒に書道を習い始め、数々の賞を受賞。
そんな島田珠代さんですが小学生の頃に見た、あるテレビCMが現在のギャグのルーツになっていると話しています。
海原ともこが審査員になったのはアツイ。
— すぅぅ🌹 (@158cm43kg23cm) December 25, 2023
次に全国区になって欲しいのは島田珠代。子どもの頃は理解できなかったが、歳を重ねるにつれてジワる珠代姉さんのギャグ。この人を東京のゴールデンタイムに流したら開始3秒でコンプラ違反する。
大好きなパンティーテックス。大阪には怪物がいる pic.twitter.com/R7XgaVOujw
そのCMというのは御幸毛織のテレビCM。
島田珠代さんが小学6年生の頃に見た御幸毛織のテレビCMで流れていたワンフレーズ「ファンシィテックス」を「パンティーテックス」と聞き間違えたのがギャグのルーツ。
島田珠代さんは聞き間違えた「パンティーテックス」が大そう気に入ったよう。
パンティと聞いたら、セクシーなやつじゃなくてパンティテックスを思い出してしまう呪いにかかってます😊
— さぷもん (@surprise_MONKEY) December 27, 2023
島田珠代さん、好き
#fine873 pic.twitter.com/JCCUVQ0vz1
何か行動をする度に「○○パンティーテックス」と連呼。
たとえば勉強をするときは「勉強パンティーテックス」と気合を入れていたのだそう。
この聞き間違いが功を奏して、島田珠代さんの人気ギャグ「パンティーテックス」が誕生しました。
島田珠代の高校時代エピソード
高校生になった島田珠代さんはお笑いに興味を待ち始めます。
あるインタビューで芸人になるきっかけを聞かれた島田珠代さん。
高校の時に夕方のバラエティー番組「4時ですよーだ」に友達が勝手に応募して番組内の素人参加コーナーに出演してで優勝。
吉本の若手芸人が出演する心斎橋筋2丁目劇場のレギュラーの座を獲得。
当時17歳の島田珠代さんは吉本興業に所属することになりました。
心斎橋筋2丁目劇場のレギュラーになった島田珠代さんは、学校の勉強よりもネタを作ることが最優先。
新ネタができあがるとクラスメイトの前で1人コントを披露していたのだそう。
高校生の島田珠代さんにとって学校はネタ見せのリハーサル場。
高校生の時、同級生んちが経営してた安アパートの一室が空いてたので自習室として友人達と使ってて、その日はたまたま一人で静かに勉強してたら帰ってきた隣室の某D志社大学のカップルがエッチし始めて、ずっと島田珠代になってたのを思い出しました pic.twitter.com/8NhioPwI1I
— ゆ ー ー か い (@Yuu_kaiD) October 13, 2015
クラスメイトの前でしっかりネタ見せをしていたはずの島田珠代さんですが、いざ舞台に立ったら頭が真っ白になることも。
何一つ言葉が出てこなくなったときには会場から「頑張ってコール」が沸き起こったのだそう。
島田珠代さんは当時を振り返り「芸人が同情されるほどつらい事はない」と。
恥ずかしさと情けなさで泣きそうになったデビュー当時の思い出を、懐かしそうに話していました。
そのとき司会をしていた東野幸治さんからは「こんな狭い舞台で泣くな。これからもっと広い所に行くねんから。泣いたらあかん」と励まされたそう。
その言葉を聞いた島田珠代さんは、東野幸治さんのやさしさに感動したことを今でも覚えていると話しています。
そんな島田珠代さんは吉本の若手の中で頭角を現し、高校3年の時にラジオ番組「2丁目ダウンタウン」のアシスタントに抜擢。
1988年から約1年間アシスタントを務めていました。
OSAKAツアーでミラクル🌈
— MIKA KIYOHARA (@MIKASUKE0523092) December 20, 2023
珠代姉さんのキーホルダー
どうしても欲しかった
パンティーテックス‼️
嬉しい😆😆😆#島田珠代#パンティーテックス#大阪だいすき❤️ pic.twitter.com/ylMmyWOdSh
島田珠代の生い立ち!家族や子供のころ・学生時代のエピソードを紹介まとめ
今回は「島田珠代の生い立ち!家族や子供のころ・学生時代のエピソードを紹介」というテーマでお届けしてきました。
島田珠代さんが育った家庭は両親と姉の4人家族。
いたって普通の家庭に育った島田珠代のギャグのルーツは小学生のころに見たテレビCM。
聞き間違えたことがきっかけで生まれたギャグで再ブレイク。
そんな島田珠代さんは、元旦にTBS系で放送される恒例!ダウンタウン総合司会『ドリーム東西ネタ合戦2024』 新年恒例の『笑いの王者が大集結!ドリーム東西ネタ合戦2024』に出演されます。
今回も「パンティーテックス」を披露されるのでしょうか?
楽しみにしておきましょう!
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