樺沢和佳奈のwiki経歴&学歴!出身高校大学・資生堂退部の理由も

2024パリオリンピック女子5000mに出場する樺沢和佳奈さん。

中学時代からめきめきと実力をつけ、高校大学・実業団でも輝かしい成績を残しています。

そこで今回は、樺沢和佳奈さんの経歴と出身高校大学など学歴、資生堂を退部した理由を調べてみました。

目次

樺沢和佳奈のwiki経歴

名前:樺沢和佳奈(かばさわ わかな)
生年月日:1999年3月24日
出身地:群馬県前橋市
身長:164cm
所属:三井住友海上

1999年3月、群馬県前橋市で生まれた樺沢和佳奈さん。

地元の中学校に入学すると陸上部に所属。

樺沢和佳奈さんが入学した富士見中学校は、特に運動部が盛んなことでも知られています。

樺沢和佳奈さんは、3年連続で全国中学駅伝に出場するほどの実力者に成長。

中学2年生、3年生と連続で全国制覇を成し遂げています。

東日本女子駅伝では、中学2年生のときに4区区間賞を獲得。

中学3年生では国体1500m、ジュニアオリンピック3000mを制覇しています。

樺沢和佳奈の学歴

中学時代から輝かしい成績を収めてきた樺沢和佳奈さん。

進学した高校や大学など学歴をみてみましょう。

樺沢和佳奈の出身高校

樺沢和佳奈さんの出身高校は常磐高校

常磐高校は、1914年(大正3年)群馬県太田市に設立された私立の高等学校。

常磐高校出身の有名人は

  • 新井健二 (元サッカー選手)
  • 星野圭佑 (サッカー選手)
  • 堀越愛未 (クロスカントリー選手)

などがおられます。

高校時代の樺沢和佳奈さんは、2年生で全国高校駅伝2位。

U20世界選手権やクロスカントリー世界選手権など、多くの大会に出場しています。

樺沢和佳奈の出身大学

樺沢和佳奈さんの出身大学は慶應義塾大学

慶應義塾大学は、東京都港区三田二丁目15番45号に本部を置く日本の私立大学。

1858年に創立、1920年大学設置しています。

慶應の「應」は旧字体のため、「応」が代用されることもあります。

大学ではトラックで勝負をしたいと考えていた樺沢和佳奈さん。

慶応大学は樺沢和佳奈さんが理想とする、選手主導型の練習を取り入れていました。

大学時代の目標は、富士山女子駅伝で全日本大学選抜チームとして出場、都道府県対抗女子駅伝で群馬チームとしての出場、自身が走る区間での区間賞を取る!を目標に掲げていました。

樺沢和佳奈さんの父親は自営業を営んでいました。

樺沢和佳奈さんが群馬県から慶応大学に進学したため、母と妹も上京。

樺沢和佳奈さんの父は一人群馬に残ることになりました。

慶応大学に進学した樺沢和佳奈さんの一日は、朝5時45分に起きて練習に向かいます。

朝の練習が終わると大学へ行って勉強。

大学の講義が終わるとその足でまた練習。

樺沢和佳奈さんは大学の練習について「いろんなことを自分で考えて動くのは今まで以上に大変」と言います。

しかし「後悔してません」と充実した表情で語っていました。

樺沢和佳奈が資生堂を退部した理由

大学を卒業した樺沢和佳奈さんは資生堂に就職。

資生堂は駅伝の強豪としても知られています。

しかし樺沢和佳奈さんは3年目に三井住友海上に移籍

樺沢和佳奈さんはなぜ資生堂を退部したのでしょうか?

樺沢和佳奈さんが移籍した三井住友海上の鈴木監督は「5000mで代表を取らせることを念頭に置いて指導している」と話しています。

樺沢和佳奈さんは、鈴木監督なら学生時代からの夢が叶えられる!と資生堂を退部し移籍を決断したと考えられます。

樺沢和佳奈さんの夢は、マラソンで世界一になること

資生堂では現状に満足せず、常に上を目指していく意識をもって練習。

「考え行動する精神」を学んだという樺沢和佳奈さん。

大学での4年間は夢に向かうための時間にしたいとのことで、慶応大学に入学。

ロンドンオリンピックに出場した経験を持つ横田コーチに指導を受けたという経緯があります。

樺沢和佳奈さんのマラソン人生は駅伝から始まり、やがて5000m、最終目標はフルマラソンなのかもしれませんね。

樺沢和佳奈のwiki経歴&学歴!出身高校大学・資生堂退部の理由もまとめ

今回は、樺沢和佳奈さんの経歴や出身高校大学など学歴をwiki風にご紹介してきました。

2024パリオリンピック女子5000mに出場する樺沢和佳奈さん。

五輪での活躍に期待しましょう!

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